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大阪高等裁判所 昭和34年(ラ)187号 決定 1962年3月13日

被相続人亡 長谷川省三の遺言執行者

抗告人 並木興造(仮名) 外一名

相手方 長田学(仮名)

主文

本件抗告はいずれも棄却する。

抗告費用は抗告人等の負担とする。

理由

一、抗告の趣旨および理由

抗告人並木興造の抗告の趣旨は「原審判はこれを取消し、本件を京都家庭裁判所に差戻す。」という裁判を求めるにあり、抗告人長田きぬゑの抗告の趣旨は原審判の取消および相手方に対する推定相続人廃除の審判を求めるにあつて、その理由は、それぞれ別紙記載のとおりである。

二、当裁判所の判断

(1)  抗告人きぬゑ、長田新三ならびに相手方の家庭事情等について

(イ)  相手方が、亡長田新三と抗告人きぬゑ間の二男であつて、その推定相続人であることは筆頭者亡新三の戸籍謄本によつて明らかである。

(ロ)  相手方は生後約四〇日の頃母きぬゑの病気のため里子として他家に預けられたが満三歳の頃両親の許に帰り、成長し慶応大学工学部在学中は両親と別居して東京にあつたが、昭和二十年九月卒業後ふたたび新三等(新三および抗告人きぬゑをさす。以下おなじ。)の許に帰つた。そうして両親の許から大阪市にある日本橋梁株式会社に勤務したが、間もなく京都市の三谷伸銅株式会社に転じ現在にいたつている。なお長田新三は昭和三十三年十月一日死亡し、相手方は同年十二月六日小川友子と婚姻した。これらの事実は原審における相手方本人の供述、当審における相手方本人審尋の結果および筆頭者亡新三ならびに筆頭者相手方の各戸籍謄本により認めることができる。

(ハ)  新三は東京商科大学を卒業して銀行員として勤務し、その後大阪市調度課長の職にあつたが昭和元年頃退職してからは定職につかず、特に終戦後の窮乏時代には抗告人きぬゑが下駄の小売をするなど家計の維持につとめていたので、家庭内の実権は抗告人きぬゑの掌握するところであつた。もともと抗告人きぬゑは非常に勝気で、感情におぼれやすく、自己本位で協調性を欠く性格であつたが、新三が老齢のため病臥することが多くなつてからは、右の傾向はますます助長され、それに抗告人きぬゑが家を中心とする旧時代的な考え方の持主であつて、相手方が成人し、経済的に独立する能力を得てからも、家の名において相手方を自己の考えに従わせようとし、相手方がダンスを練習することに反対したり、相手方の選んだ結婚の相手に反対したりした。一方、相手方は前示のように幼時里子として他家で養育されたことや結婚に破れて新三方に帰つていた妹洋子を不憫がるきぬゑの態度などからして、母親の自分に対する愛情に疑惑を抱くようになり、これらの事情が相まつて抗告人きぬゑと相手方の間には漸次深刻な感情の対立を生ずるに至つた。以上の事実は原審証人大川みや、同大川進、同小川友子の各証言、原審における相手方本人の供述、当審における相手方本人審尋の結果、原審における調査官の昭和三十四年五月二十三日附調査報告書中南田真海、山本吉男、山本ふみの供述記録を綜合して認めることができる。

(2)  廃除の事由の有無について

そこで、右のような事情のもとにおいて、相手方が新三等に虐待をし、重大な侮辱を加え、又は相手方にその他の著しい非行があつたか、どうかについて考えてみる。

(イ)  まず、相手方が収入を家計にくり入れず新三等の面倒をみないために新三等と別居することになつたとする点について。原審証人大川進の証言、原審における抗告人きぬゑならびに相手方本人の供述および当審における抗告人きぬゑならびに相手方本人審尋の結果と京都家庭裁判所昭和三十年(家イ)第七四〇号別居調停事件の調停調書謄本を総合すると、相手方は昭和二十七年頃土方美枝子との縁談が不調となつたのについて、抗告人きぬゑの態度が一因であると考えたことから、自己の意思による結婚をするためには両親からの経済的な独立が必要であると考えて、昭和二十七年六月頃から自分の収入を新三等の家計にくり入れなくなり、これに加えて、前示のような親子間の感情的対立に起因して、その頃より新三等と相手方間に口論を生ずること多く、時には、それが相手方の両親に対する暴言ともなつて現われ、その間後記認定のような暴行事件も発生したため、相手方のこの態度に憤慨した新三等が昭和三十年に京都家庭裁判所に対し相手方との別居調停の申立をなし、同年十月十九日別居の調停が成立した結果、相手方は間もなく新三方から住居を他に移すに至つたことを認めることができる。抗告人らは相手方が新三らに対し給料を入れなくなつたのは、昭和二十三年頃からであると主張し、原審における証人長田洋子、抗告人きぬゑらは同旨の供述をしているが、右供述は原審における相手方本人の供述にてらし直ちに信用できない。しかし調査官の昭和三十三年十一月十二日附新三の遺産調査報告書によれば、新三は相当の資産(土地家屋)を有していたことが認められるので、必ずしも既に結婚適齢期を迎えている相手方の給料に依存しなくても生計維持の方策がありえたと思われる。したがつて、相手方が新三等から経済的に独立しようとして、収入を家計に入れなかつたことは、新三らの家計に対する協力にいささか欠けるところがあつたとしても前示家庭事情からみてさほど非難にあたらない。(なお、当時相手方が新三らに対し結婚を理由に財産の分配を求めたところ、新三らは生前の分配を拒否したことが、原審における申立人きぬゑの供述により認められる。)そして、原審における相手方本人の供述によれば、相手方は、新三らとの前記感情的なわだかまりを解くためにも、一時別居することが必要と考え新三等の調停申立に応じて別居したことが認められるから、新三等として右別居自体を咎めるべき筋合でないことは勿論である。結局前記の点は民法第八九二条所定の事由にあたらないといわねばならない。(相手方の前記暴行、暴言についての判断は後に譲る。)

(ロ)  新三の病気中相手方が新三等の意思に反して新三方に住居を移したとの点について。原審証人大川進、同長田実、同長田洋子、同田上和吉の各証言、原審における抗告人きぬゑならびに相手方本人の各供述、当審における抗告人きぬゑならびに相手方本人審尋の結果、および筆頭者新三の戸籍謄本、登記簿謄本(記録二五〇丁以下)を総合すると、つぎのような事実が認められる。すなわち、「相手方がさきの調停の結果別居してのち、新三等は、当時新三方に下宿していた医師松井治が前記洋子と相愛の仲にあつたところからして、同人を相続人となして老後を托そうと考え、相手方にまつたく相談なく昭和三十三年六月二十三日右治と養子縁組をなし、同日洋子と、右治は婚姻の届出をした。そして、その直後、新三は同人居住中の家屋敷を右洋子、治両名に贈与した。新三はかねてから病臥しており、相手方は別居後時折見舞のために新三方を訪問するような状態が続いていたが、同年六月末頃新三の容体が悪化し、死期が近いと思われたうえに、右治との養子縁組がなされたことを聞知して自己の相続人としての地位に不安を感じたことから、相手方は新三の看病をし、かつ同人方における自己の地位を強化するため、同年七月十四日突如として新三方に居を移し、抗告人きぬゑや新三が退去を求めても去ろうとせず、そのまま新三方に居ついてしまつた。その結果新三方では抗告人きぬゑ、新三、洋子、治等と相手方との間に終始内紛が続き、新三は病床にあつて心痛甚しく、同年十月一日心臓麻痺により死亡するに至つた。」

しかしながら、前記別居の調停は、もともと新三、きぬゑと相手方間の不和を調整するためになされたものと認められるから、相手方の同居を絶対に許容しない趣旨のものでないことは、明かであつて、相手方が、余命いくばくもなく病臥中の新三の許に、看護のため復帰することは、なんらの右調停の趣旨に反するものとはいえない。また、新三らが、相手方に一言の相談もなく前記のように松井治と養子縁組をなし、同人に財産の一部を贈与したことは、さなぎだに葛藤を生じている親子関係において、相手方をして自己が疎外されたものと感じさせるのは無理からぬところであるから、相手方が自己の立場を強化するためには、この際新三方に復帰する必要があると考えたとしても、その心情は理解できないではない。さらに、相手方が新三方に復帰して以来、内紛が激化し、相手方が新三らに対し嫌味な言動にでることが多く、そのため、新三の病状に悪影響を生じたことは、本件記録にてらし窮われるけれども、かかる遺憾な事態を招来したについては、前記のように新三らが相手方をして疎外感を抱かせるような行為に出たことが大きな原因となつていることを見逃してはならない。右のような事情をもとに考察すると、相手方が新三方に居を移したことは、それがさきの調停条項の趣旨に反し、また抗告人きぬゑや新三の意思に反していたとしても、未だ相手方の廃除を正当づける事由と断ずることもできない。

(ハ)  相手方が新三方の重要書類の存する抽出類を搜索したという点については、証拠上これを認めることができない。

(ニ)  相手方の新三等に対する暴言暴行について

相手方が新三等に対してなした暴言、暴行の事実については原審判認定のとおり(原審判書四枚目裏一行目から五枚目表一行目まで)であるからこれを引用する。なお医師安富徹作成の抗告人きぬゑに対する昭和三十六年五月二十二日附診断書と当審における抗告人きぬゑ審尋の結果によると、同月十七日相手方は抗告人きぬゑの首を締めて左頸部擦過創(療養期間七日間)を負わせたことが認められ、その他相手方の新三らに対する暴言の事実は先に認定したとおりである。

相手方が新三ならびに抗告人きぬゑに対し右の様な暴行ないし暴言をなしたことは勿論遺憾なことであつて、とくに自己の両親に向つて暴力をふるつた点については強く反省しなければならない。しかも原審における証人小川友子の証言、相手方本人の供述、調査官の昭和三十四年五月二十六日附調査報告書所載の大山宏の供述調書によれば、前記暴行中には、明らかに申立人きぬゑの相手方に対する刺隙的言動に誘発されたと認められるものがある。(たとえば、昭和三十三年十一月三日の暴行事件)また調査官の昭和三十三年十月一日附調査報告書によると、相手方は現在の勤務先では真面目に働き将来を嘱望されており、粗暴な振舞など見られないのであるから、相手方は家庭外の対人関係では協調できることを十分示しているのである。これらの事実および前認定の抗告人等の家庭事情からすると、相手方の前記暴言ないし暴行はまつたく理由なく突如として、かつ一方的に行われたものではなく、抗告人きぬゑと相手方間の永年にわたる深刻な感情の対立が、相手方の経済的独立や結婚問題を契機として、時には抗告人きぬゑの刺戟的言動にも誘発されて爆発し、互いに罵りあつた結果であり、また、時として抗告人きぬゑに気がねし、これに追随せざるを得ない立場にあつた新三に累をおよぼしたものであると考えられる。従つて、単に現象面にあらわれた相手方の暴言ないし暴行のみをとらえて相手方を非難するのは当らず、抗告人きぬゑ等と相手方との間の感情上の対立を生じた原因について更に考究しなければ推定相続人廃除の事由の有無を決しがたいところ、前認定の各種事情に徴すると、前記親子間の葛藤は、前認定のように抗告人きぬゑの性格や考え方に偏りがあり、成人に達し、かつ経済的独立の能力をも有する相手方をその意思を無視して自己の意に従わせようとし、相手方が容易にこれに従わぬところから、更にこれを排斥しようとした抗告人きぬゑの態度とこれに追随した新三の態度に原因するところが多かつたと認めざるを得ないし、また、本件記録にてらすと、抗告人きぬゑは前記別居調停を成立させてからは、事態の法的解決をはかるに急で、相手方との間の話合による調整を一切顧みなかつたため、これが一層相手方の抗告人等に対する感情、態度を硬化させ不和を深刻激化させたことがいなめない。相手方の前記暴言ないし暴行も未だもつて民法第八九二条所定の事由となし得ないというほかはない。

(ホ)  なお、抗告人らは、相手方に相続の意思がないと主張するが・本件記録によると、相手方が抗告人らに対し、相続の意思のないことを表明したのは、前記親子げんかの際に口外した片言にすぎないから、これをとらえて相手方に相続の意思がないとは到底断ずることはできない。その他職権を以て調査しても相手方に民法第八九二条所定の事由にあたる事実は認められない。

三、結論

以上判断したところで明かなように抗告人らの本件相続人廃除の申立はいずれも失当であつて、これを却下した原審判はすべて正当である。よつて本件各抗告はいずれもこれを棄却することとし、抗告費用は家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第八九条、第九三条により抗告人等に負担させることとし、主文の通り決定する。

(裁判長判事 沢栄三 判事 斎藤平伍 判事 石川義夫)

抗告理由<省略>

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